アメリカ大陸 6500Km 横断記

小野 H さん 74年 生まれ
北九州市在住 職 業:バイク情報誌


1997年8月1日からの15日間、22年間の僕の人生で一番輝いていた。
なぜなら、夢を現実に出来たからだ。
その夢とは、アメリカ大陸6500Kmをハーレーで横断すること。
それを現実出来たからだ、、、、。


◆少し前まで『君の目標は?』、『したいことは?』と人に聞かれると、いつも答えを言えなくなり悩んでいた。

中学、高校と部活や遊びに夢中でいつも多くの友達に囲まれ楽しくやっていた。 ただ、それだけでよかった。でも就職して、みんなそれぞれの道を進み始めた。僕は平凡なサラリーマンを続けていたが、いつもこのままでいいのか?と悩んでいた。 そんな時、一冊の本に出会った。その本の中の言葉に『自分のアンテナを磨き、チャンスをつかめ!!アンテナが錆びていると、チャンスに気付かない。』その言葉で、僕はアンテナさえも出していないことに気がついた。それからは、自分の好きなことだけではなく色々な人との出会いの中から様々な事を知り自分の力にしたいと思い始めていた。そんなある日、本屋で好きなバイク雑誌を読んでいると、ふと隣の棚にある本が目に止まった。今まで読んだことのない本だった。僕の好きなバイクとは少し路線が違っていたからだ。なのに、妙に気になってしょうがない。手にとって読んで見ると最後のページに特集が載っていた。去年行われた『アメリカ大陸6500Kmをハーレーで横断』というツアーだった。そして同時に今年の参加募集も載っていた。全身の毛穴が開き、にやけ顔になった。『これだ!!』と思い早速本を購入した。この時俺のアンテナに何かが引っかかった気がした。それ同時に何かが始まっていた。

アメリカ大陸6500Kmを自分の好きなバイク、しかもハーレーで横断。人によっては、危ないとか、そんな事をするなら車買えよなど人それぞれの意見。色々な考え方があると思うが、それは誰が正しくて、誰が間違っているとかはないと思う。でも僕はこの横断にどうしても行きたくて仕方がなかった。金が掛かるとか、そういう問題ではなく、熱い何かを感じ硬い決心があった。幸せなことに、僕の廻りの友達や両親は大賛成してくれた。父親などは『いい経験してこい、羨ましいぞ、俺が行きたいくらいだ』と言ってくれた。嬉しかった。

このツアーは1チーム15人がそれぞれ2チーム有り、LA−NYをAチーム。NY−LAをBチームとして同時にスタートしアメリカ大陸のど真ん中で出会い、1晩だけの酒盛り。そしてお互いのゴールを目指して走り続けていく。

Aチームのゴールが世界の中心ニューヨークの自由の女神。Bチームのゴールが太平洋の青い海と澄みきった空のロサンゼルス。僕は迷わずにBチームに決めた。開拓時代のアメリカが東から西へ進んだ様に、今その道を現代の鉄馬アメリカの文化の1つでもあるハーレーで進んで見ようと思ったからだ。僕は本を買って2日後には申込を済ませていた。まだ4月の事であった。出発は真夏の8月1日。いてもたってもいられない気持ちが続いた。時間が経つのがなぜこんなに長いのだろうと思った。

今振り替えって見ると時間が経つのが長く感じていたのは、出発前までだった気がする。出発してからは、時間が経つのが早かった。早すぎて時を止めてほしい位だった。8月の灼熱の太陽に下で、アメリカ大陸6500Kmをハーレーで横断し無事成功。ここに書いてしまうと実に簡単に終わってしまう。しかし参加した人達にして見れば、ここに書き切れないほどのドラマや感動が有った。だから正直なところ直接自分の体で感じ、体験した人達にしか分からないと思う。 だから『どうだった?』と人に聞かれ『最高、行ってよかった』、、で終わってしまうことが少し辛くなってしまう。

『アメリカ大陸を横断したい』と言う1つの目標のためだけに全国から集まった2チーム30人、特に15日間共に過ごしたBチーム15名は、もう最高のメンバーだった。女性が4人もいてその内1組は新婚さんで旦那と2人参加。まるで抽選会でもして選ばれたかのような人ばかりだった。そしてそのメンバーを上回る位の現地ガイドさんだった。今回の横断をただの旅行ではなく”旅”にしてくれた。

僕達が見て感じたアメリカは、普通の人や観光地では絶対に味わえない事ばかりだった。例えば走行1つにして見てもそうだ。朝6時位に集合して地図を見ながらルート説明をするのだが、その際ガイドさんが15人のメンバーの誰か1人だけにそのルートを教える。そして今度は、その1人が地図を広げルート説明を皆にするのだが、その説明する人も、当然アメリカの道など知らないので自信がなさそうだ。しかしそれを聞く他のメンバーはたまらない。その日迷子になるかどうかがかかっている。もう真剣そのもの、分からない所があると質問責め。自分の頭の中にルートを入れて走る。そんな風だからガイドさんについてただ走るというのではなく自分自身でアメリカの大地を走り抜けた。

その中で出会った人達も沢山いる。僕達は色々な町に行く訳だが、英語も出来なくて変な片言の英語とゼスチャーなのに毛嫌いせず、皆暖かく話し接してくれた。子供達もそうだった。空き地でバスケをやっている彼等に、僕達とプレイしようと伝えると日米 3on3 対決が始まった。疲れも忘れ汗が止まらなくなるほど夢中になってやった。

アメリカ大陸のど真ん中でAチームとBチーム出会った日、顔も名前も知らない、ただ1つの共通の目的『大陸横断』。その日両チームはハイウェーを下りた出口で出会った。30台近いハーレーでハイウェーに出るとそこはもう誰も邪魔できない。車どころかコンボイさえも入れない。その中に自分がいる。もう涙が止まらなくヘルメットの中で叫んでいた。

人だけでなく自然も暖かかった。地図にも詳しく載っていない場所、そこは、神の谷と呼ばれるところ。観光客はもとより、なにも整備されてない在りのままの自然が眼下に広がる。そこに立っていると言葉がでない。僕達15人以外誰もいない、そして何もない。有るのは目の前に360度剥き出しの地球だけだ。唯一風の音がするだけ。そしてメンバーの1人がインディアンフルートを吹いてくれた。その音色は耳ではなく心に響いて大地とともに共鳴していた。気が付くと又涙が流れていた。もしかしたら、ここには全てがあったのかもしれない。

恥ずかしいがこの横断中何度も気が付くと涙が流れていることがあった。又そうしてくれる仲間達だった。誰か1人の言い出しっぺが思いつきで始める企画も皆でやった。ガイドさんへの感謝のビール掛け、誕生日の人への顔面ケーキ、ラスベガスで結婚式を上げたカップルへのプレゼントと合唱&ビールのシャワー。全て本当に”イイ感じ”で心に焼き付いている。ゴールのサンタモニカの海では、皆で星条旗をなびかせ叫びながら、そのままの格好で海に飛び込んだ。心の底から感動し幸せだと感じていた。

この仲間とは一生の付き合いになると思う、全国各地バラバラだけど97年の真夏の熱い思いでは忘れることはない。人によっては『いずれ忘れていくよ』と言うかもしれないが、確かなことが1つだけ言える。この15人の心の中には今でも、そしてこの先もずっとアメリカでの事は熱く生き続けている。そしていつの日かどういう形にしろ、いや、むしろ生き方ににできると思う。そして今僕は、自分の殻を破り自分の選んだ道を歩き始めた。そしてその道を一生懸命頑張って歩いて行こうと思う。最後にアメリカに、出会った皆に心から 『Thank You』

By Hiroshi Ono 98年1月号バイクブロス誌より。

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